
今回の展示では3フロアを使い、3つの展示をしました。
会期 _ 2025年10月31日〜12月21日
会場 _ 東條會舘写真研究所(東京都)
B1F「はじまりと終わりに見る色を、私は知らない」(新作)
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6F「私は初めてみた光を覚えていない」(初出2018年)
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5F「終わりのないものを私は知らない」(新作)
はじまりと終わりに見る色を、私は知らない










はじまりと終わりに見る色を、私は知らない
幼い頃、人気のない田畑や墓地で見かけることが多かったせいだろうか、彼岸花が咲く場所がとても寂しく、怖くて仕方がなかった。
成長するにつれて、その根には毒があること、お彼岸の頃に咲くから彼岸花と名付けられたことを知り、私の中では不吉なことを連想する花になっていった。
いつ誰から聞いたのか覚えていないが、人が生まれて初めて認識出来る色が赤で、亡くなる直前に認識出来る色も赤だと聞いた時、思い浮べたのが彼岸花だった。そして、怖いと思っているその花を撮影しようと思った。
合わせ鏡や万華鏡を前にすると、自分がどこにいるかがわからないという感覚がある。永遠に続くリピートの中にいると、自分は長い時間の中の一瞬しか生きられないという事実がまざまざと迫ってくる。
生まれた時に見たかもしれない赤い色を私は覚えていない。いつかくる最期に、私は赤い色を見るだろうか。
私は初めてみた光を覚えていない






私は初めてみた光を覚えていない
祖父が寝たきりになり、言葉も交わせなくなっていく中で、写真を撮るということが対話になっていた時期があった。
その頃、私のことを見る祖父の目だけを撮影したら、喜んでくれるのではないかと思い、目のアップだけを撮り始めた。祖父は私がカメラマンになれたことを喜んでくれていた。カメラを向けると、恥ずかしそうに照れながらもまっすぐにカメラを見てくれたのだ。
そうして帰省する度に撮影しているうちに、祖父の終わりに向かっていく目の光ではなく、初めて世界を見る、始まりの目の光を見たいと思うようになった。生きるためだけに開く目を見たくなったのだ。それから30人以上の出産に立会い、生まれてから5分以内だけにある、赤子の目の中の、まだこの世のものではないような光を見た。
補足)ベタ焼きに写っている目は、実際の赤ちゃんの目と同じくらいのサイズなので展示しました。
終わりないものを私は知らない


終わりないものを私は知らない
作品を通して、怖いと思うものや、理解が出来ないものに向き合っている。その最たるものが死だ。寿命を終えようとする祖父の目から始まり、生まれてくる赤子の目を見たいと思うようになった。その作品をまとめた後に、はじまりと終わりに見るもの/見えるものについて考えるようになった。生まれてすぐに認識出来る色が赤で、亡くなる前に認識出来る色も赤だと聞き、目の作品の延長に、光の次は色だという思いが生まれた。
色について考えていると、色が生まれるのは、太陽があるからだと思うようになった。太陽は現在約47億歳で、50億歳くらいまでは現状のまま輝き続け、燃料の水素が尽きると赤い巨星となり、その後白色矮星という燃え尽きたもののようになり、100億歳でその生涯を終えると言われているそうだ。
永遠に続くかのように思われ、生命の源である太陽もいつかは終わる。
太陽が生まれ、その役割を終えるまでの時間からしたら、私が生きている時間なんぞ一瞬でしかないが、それでも自分の中にある恐れが何であるか知りたいと思い、太陽を見ようと思った。
補足1)自分が太陽望遠鏡で初めて太陽を見た時の印象を体験して欲しく、覗き穴から作品を見るという展示方法にしました。
補足2)太陽に関して、私としては太陽でしかないのですが、感想でよく聞いたのは、ステートメントを読まなければ太陽だと気づかなかったというものでした。多かったのは眼底検査の時に見る眼球、受精卵や細胞でした。太陽の前に見た作品から、鑑賞者がそれぞれにストーリーを思い浮かべた結果、バラバラな答えが生まれたんだと思います。
今回の展示では赤といっても、万人が同じ色を想像していなく、人それぞれ別の赤を自分の中に持っているということを考えながら制作しましたが、誰もが知っている同じものを見ているのに、別のものと認識するというは驚きでした。ただこどもが、一目見て太陽!と答えていたのは、なんだったんだろう。太陽見たことあったのかな。
バラバラに見えますが、「恐れ」や「始まりと終わり」といったテーマは同じなのと、順番に見ていくことで、イメージが足されていく構成となっていました。


最後に東條會舘写真研究所の方が、私が色で悩んでいる過程を展示にしてくれました。